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憲法審査会に臨む民共、憲法改正でも共闘路線

NHK日曜討論」に自民、民進など各党の幹事長が出演し、憲法改正について討論した。
民進党の野田幹事長は自民党憲法改正草案を批判し、自民党・二階幹事長に草案の白紙撤回を求めた。その理由は、自民党憲法草案があると、静かに粛々と議論を進めることが出来ないというものだった。二階氏は白紙撤回を拒否したが、野田幹事長はその後も執拗に、自民案の撤回を再度求めた。
つまり野田幹事長によると、憲法審査会に自民案が存在すると議論が出来ないというわけだが、憲法審査会とはそもそも、「憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等の審査」を行う機関である。憲法改正の原案なしに、一体どうやって憲法改正案の審査を行うというのか。また、憲法審査会で議論をするにしても、ただ漠然と憲法について観念論を議論したところで時間の無駄である。各党が改正案を持ち寄って、これを議論するのでなければならない。民進党は、その憲法改正草案も提出できないでいるというのに、自民党に改正案を撤回せよなどと要求するのは、今後の審議のあり方を無視した無責任な発言である。
共産党の小池書記局長に至っては、自民党案を、国防軍の創設など具体的な例を挙げて批判し、二階氏の自民案撤回拒否を指して「重大な発言だ」などとして非難した。しかし、共産党は党の綱領で自衛隊の解消と日米安保条約の廃棄を明記しており、共産党としては自民案の批判しか出来ないのは当然といえよう。共産党は「日本人民共和国憲法」という、かねてからの憲法改正草案があるにも関わらず、それは隠したまま、今回の憲法審査会に臨む。自らの憲法改正に関する政策は、世論の反発を恐れて隠蔽しているのであるから、彼らは自民党を批判できる立場にはない。
日本維新の会の馬場幹事長は、各党が憲法草案を提出して、それをベースに議論をすることを提案していたが、憲法審査会の意義を考えれば全くそのとおりであり、民進党共産党は、そもそも他党の草案を批判する資格など無いのである。
今国会から開始が予定されている憲法審査会の議論でも、民進党共産党は、自民党の改正草案に対する批判に終始するとみられる。今月、代表に選出された民進党蓮舫代表は、今後の民進党の方針を「批判ではなく、提案型」などと表明していたが、そのような言葉を真に受けることは難しい。今回の討論で野田幹事長が自民党の批判に終始したように、憲法審査会での民進党憲法改正論議も自民案への批判に集中するだろう。「提案型」と言いながら憲法草案も提出できず自民批判に終始する民進党は、今後ますます、共産党と命運を共にすることが確実視される。

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GHQ「押し付け憲法」は9条改憲や護憲の理由になるのか?

日本国憲法とくに第9条をめぐっては、憲法GHQの押し付けだから改憲の必要があるとする「押し付け憲法論」を根拠とする改憲論がある。これに対し、憲法の押し付けはなかったとして護憲を主張する護憲派とが対立している。
GHQによる憲法の押し付けは歴史的な事実である。したがって、「押し付け憲法論」を主張する改憲派の方に正当性があるように見える。しかし、「押し付け憲法論」が歴史的な事実に整合するからと言って、これだけを憲法改正の根拠にするならば、いくつかの問題点がある。GHQ憲法押し付けを改憲の理由にするならば、GHQの押し付けは憲法以外にもあったのが歴史的事実であるため、本来は憲法以外にも改変を主張しなければならない。たとえば農地改革が良い例で、これはGHQによる典型的な押し付けであり、したがって改憲派は押しつけ論を展開するのであれば、農地改革の撤回も主張しなければ筋が通らない。他にも、財閥の解体や、戦争協力者の公職追放といった押し付けも、憲法以外の押し付けとして存在するのであるから、GHQ押し付けを不当とするなら、これらの撤回も主張するべきなのである。
だが、「押し付け憲法論」を主張する改憲派には、このような認識は見られず、憲法改正論だけにGHQ押しつけ論を持ち込んでいるため、「押し付け憲法論」を改憲の理由にするのは、都合の良い論理と言える。
ただし、憲法の押し付け自体は歴史的な事実であり、「押し付け憲法論」の正当性自体は否定されるものではない。この点、護憲派の唱える「押し付け憲法論否定説」はことごとく誤りである。護憲派のこれらの説には、憲法帝国議会の審議を経て成立したことを理由に押し付けを否定するものや、幣原喜重郎首相がマッカーサー憲法9条を提案したとするものなど、いくつかの説があるが、いずれもGHQによる日本統治の実態を無視していたり、歴史的証拠が存在しない説であるため、「押し付け憲法論」を覆すには至らないものである。
いずれにせよ、現在の憲法に問題がないのなら改憲の必要は全くない。あくまでも、憲法に問題があるとして改憲するか、憲法に問題はないとして改正をしないかのどちらかである。
したがって、「押し付け憲法論」だけを改憲の理由にするのは問題があるが、逆もまた真である。憲法の押し付けがないなら改憲の正当性もないとする護憲派の主張は、全く不毛なものである。

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民進党、共産党の憲法9条護憲、「憲法を守れ」という主張の嘘

自衛隊は、憲法学者の多くがこれを違憲だとしている。9条2項で規定されている「戦力の不保持」に反するからである。一方で、政府解釈は自衛隊を戦力に満たない「必要最小限度の実力」とみなし、よってこれを合憲としている。

これに対して野党はどう言っているのか。民進党は集団的自衛権のみを違憲とし、個別的自衛権を合憲としているが、9条2項の規定に従えば、個別的自衛権のみが「戦力」に当たらないとするのは詭弁である。共産党自衛隊違憲であり将来的にはこれを解消するが、現在は災害出動などで活用するという支離滅裂な見解を述べている。野党はこのような見解を示しながら、「憲法を守れ」と与党に要求している。

だが、「憲法を守れ」と言うのであれば、まずは9条2項を尊重して、自衛隊廃止法案を国会に提出すべきである。冒頭で述べたように、学者の大多数は自衛隊違憲とみなしており、また、自衛隊を「戦力でない」とする政府解釈は、軍隊を軍隊でないと妄語しているに等しい。「憲法を守れ」と言うのであれば、彼らは自衛隊違憲性を指摘し、自衛隊を廃止するべきなのである。

しかし、自衛隊廃止論を唱えていては、国民の支持が得られないから、自衛隊廃止法案は出せない。それが出来ないから「自衛隊違憲だが、今は活用する」などと言うのである。

憲法を守れ」と主張するならば、選択肢は、自衛隊廃止法案の提出か、現憲法と現実との矛盾を受け入れて9条を改正するかの二つに一つであるが、彼らはどちらも選ばずに、どちらにもつかない無責任な立ち位置に甘んじて「憲法を守れ」という主張だけは怠らない。

彼らの言葉は大嘘なのである。

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安保法制、集団的自衛権の違憲理由を憲法学者が説明できないワケ

安保法制の成立から一年目を迎えた19日、各地で法案に反対する集会が開かれた。国会前周辺の集会では、民進党の岡田前代表がマイクを取り「違憲の法律は何年たっても憲法違反。廃止しなければならない」と安保法制廃止を訴えた。しかし、なぜ安保法制が違憲なのかという説明は、記事にはなかった。
安保法制を違憲だとする人達は、何を根拠にそう主張するのか。抗議集会の他の記事では「地球の裏側で戦争させない」「安倍政権の暴走を許すな」といった主張ばかりが目立ち、法案を違憲とする彼らの主張の根拠が見えてこない。そこで、安保法制を違憲とする根拠を、ネットで検索したところ、国会で安保法制は違憲だと述べた憲法学者小林節氏の記事があった。小林氏は、安保法制の違憲性を問われて、その理由を次のように述べている。

憲法9条に反します。9条の1項は、国際紛争を解決する手段としての戦争、これはパリ不戦条約以来の国際法の読み方としては、侵略戦争の放棄。ですから我々は、自衛のための何らかの武力行使ができると留保されています。ただし、2項で軍隊と交戦権が与えられておりませんから、海の外で軍事活動をする道具と法的資格が与えられておりません。

まず9条1項を「侵略戦争の放棄」と位置づけ、日本は自衛のための武力行使が出来るとするのは、政府解釈もそのとおりである。しかし、続く2項の説明はおかしい。というのも、軍隊と交戦権が与えられていないのはそのとおりであるが、9条には、どこにもこれらを「海の外」と地理的に限定する規定は無い。「海の内」であっても、軍隊と交戦権は認められていないのであるから、9条2項の適応条件として勝手に「海の外」と限定するのは解釈の誤りではなく、憲法に存在しない条件を前提にして話を捏造している。小林氏の説は破綻しており、安保法制を違憲とする根拠になっていない。また、国会で安保法制を違憲と発言した長谷部恭男氏もこの記事に登場しているが、長谷部氏は違憲判断の理由を全く答えていない。
さらに、これとは別に、木村草太という憲法学者による記事があった。木村氏は憲法9条1項の「戦争放棄」、および2項の「戦力の不保持」により、「外国政府への武力行使」は原則として違憲だとしている。この「外国政府」というのが意味が不明なのだが、ともかく、9条の規定により個別的、集団的自衛権の両方が違憲という考えのようだ。ここまでは概ね同意できる。しかし、ここからが問題で、木村氏は、憲法のある条文を理由に、個別的自衛権に限っては9条の規定を免れ、合憲だという。その条文というのは、憲法13条であり、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めた規定である。つまり、国民のこの権利を守るために、憲法9条は例外化され、個別的自衛権だけは合憲だというのである。そして、木村氏はこの解釈を「従来の政府見解」であるとしている。しかし、これは誤りというより、ウソの部類である。というのも、この政府見解を調べてみると、これは自衛権全般についての政府見解であり、憲法13条を根拠に集団的自衛権も合憲とする政府見解である。したがって、集団的自衛権を合憲とする政府見解を引っ張ってきて、集団的自衛権違憲とする自説の根拠にしたのであるから、木村氏の説は全くお話にならない。
このように、国会で法案を違憲と断じた小林氏、長谷部氏でさえも安保法制の違憲性は説明できていないのである。これら学者の説に共通するのは、個別的自衛権は合憲で、集団的自衛権のみが違憲だと強引に結論付けるために、論理が破綻していることである。それもそのはずで、個別的自衛権および集団的自衛権は、戦力の不保持を規定した憲法9条2項に明確に違反しており、彼らは集団的自衛権のみが違憲であると主張することで自己矛盾に陥っているのである。

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憲法9条改正、憲法論と国防論の区別を

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憲法9条の改正を議論するのに、改憲派護憲派とでは当然ながら論争になるのであるが、その論争を詳しくみてみると、憲法論に関する論争と、国防論に関する論争が混じり合っている。自衛隊違憲なのかとか、自衛隊は戦力なのかといった論争は概ね憲法に関するものだが、いざ自衛隊違憲だとして、ではどうするかという時に、護憲派のほうは、自衛隊を解消しろとか、今以上に抑制しろなどと言うし、対する改憲派は、いやそれでは国防が出来ないとか、安全保障上問題があるとか、そういった論争をする。しかし、この部分は国防をめぐる論争であり、憲法をめぐる論争ではない。なので、混乱を避けるために、その論争が憲法に関する論争なのか、国防に関する論争なのかを、9条をめぐる憲法改正論議においては区別するのがよいだろう。
たとえば、護憲派の主張に「9条は改正せず、国際間の問題は外交で解決する」といったものがあるが、これなども、論点は憲法9条をめぐる改正論ではなく、国防論の問題なのであって、9条改正の是非はあまり関係がない。なのに、改憲派として「いや、外交は軍事力の裏付けがあってこそ成り立つので、9条は改正する必要がある」とすると、それはそれで筋の通った反論なのだが、結局は9条改正と国防のポリシーに関する論議がごっちゃになり、概ね議論にならないのである。したがって、これは憲法に関する論議、これは国防に関する論議と、分けて示す必要がある。
ただ、今の例で言えば、「国際間の問題は外交で解決する」というのは、国際常識としてアタリマエのことであり、9条改憲派はなにも9条を改正して国際間の問題を武力行使で解決しようと言っているのではないから、この場合の護憲派の言い分は、そもそもがおかしなものである。あたかも9条改正派が戦争を追求している印象を与えるものであり、このような言い方をする護憲派には、印象操作をしている疑いがあるから、大いに問題がある。
ことを国防論に絞れば、国際間での問題を外交で解決すると言っても、軍事力による実力の裏付けがないと外交は機能しないのであり、ましてや、相手国が軍事力でこちらに挑んでくるケースでは、実力の裏付けのない外交など、まったく成立しない。先日、稲田朋美防衛相が訪米し、会談したカーター米国防長官から、尖閣諸島日米安保条約の対象であるとするアメリカ側の発言を改めて引き出したが、このような、強い日米同盟といった軍事的な裏付けがあってこそ、中国のような国に対する外交は機能するのである。

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蓮舫氏の憲法9条護憲、言葉通りに受け止めてはならない

護憲派には、自衛隊違憲だから、憲法9条に合わせて自衛隊をなくそうと主張する人達がいる。それではいったい国防をどうするのかと思うが、9条では戦力の不保持を規定しているのであるから、9条と自衛隊に矛盾があるのは確かなので、それはそれでひとつの意見ではある。だが、こうした人達の考えを注意深く追ってみると、この「自衛隊違憲だから」という部分が、どうも、方便ではないかと思われるのである。つまり、彼らのホンネは、「憲法9条を守るために、自衛隊をなくそう」というもので、9条護憲を目的に国防を放棄しているのではないか。さらに、この延長で、実のところ国防を放棄したいがために、9条護憲を利用しているとも思われる。「国防放棄のために、憲法9条を守ろう」というわけだ。これは、何がなんでも、無条件に、9条を守ると言っている人達に顕著である。民進党代表の蓮舫氏はその一人だ。
蓮舫氏は、代表就任前より、かねてから「9条は絶対に守る」と発言してきたが、自衛隊違憲か合憲かという問題を置き去りにして、日本の国防を放棄するのが目的でこのような発言を繰り返しているとも思われるのである。というのも、蓮舫氏は、なぜ9条を守るのかという点が実に曖昧だ。自衛隊違憲性にしても、9条を守るというなら自衛隊違憲であると主張するはずであろうに、それはしない。つまり、9条と自衛隊の矛盾には触れず、「自衛隊違憲だから」という前提が不在なまま、ひたすら「9条は絶対に守る」と言っているのである。それならば、単に日本の国防を放棄あるいは弱体化させるがために、「9条は守る」などと発言しているとも受け止められるのである。
実際、蓮舫氏は、政権与党時代の「事業仕分け」で日本の産業を弱体化させ、中国が領有権を主張している尖閣諸島に領土問題があると発言したのであるから、現在は日本を更に弱体化させるために国防放棄に向けた9条護憲を唱えているとしても不思議ではない。少なくとも、日本の国防をこれ以上強化させないように9条護憲を唱えている疑いがある。
日本弱体化の実績や中国を利する発言をした外国籍を有する人物が野党第一党の党首として9条護憲を主張している。その真意と目的を冷静に吟味する必要がある。

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憲法9条改正、護憲派と改憲派のどちらに矛盾があるのか?

下記のAとBは、護憲派改憲派の考えの違いの一例を示したものである。護憲派改憲派には、この他にも「自衛隊は合憲」とした上で護憲と改憲に分かれるCとDの考えがあるが、話が一度に膨らみすぎるので、ここでは触れない。

A.自衛隊違憲なので、憲法に合わせて自衛隊を変える。(護憲派
B.自衛隊違憲なので、自衛隊に合わせて憲法を変える。(改憲派

AとBの考えは、改憲論議において対立の深い二派であるが、自衛隊違憲とする点で両者ともに出発点は同じである。Aは憲法に合わせて自衛隊の現状に何らかの変更を加え、護憲を通そうとするものであり、Bは自衛隊の現実に合わせて9条の改憲を主張している。「9条を守れ」と言っている人達が概ねAに当てはまり、一般的に「護憲派」というとこのグループの人達が目立つ。また、民進党蓮舫代表のように個別的自衛権は容認しても、集団的自衛権では違憲を主張して「9条は絶対に守る」と言う人達は、このAのグループと考えて良いと思う。というのも、彼らの言動を見ると、ホンネでは個別的自衛権でさえも違憲と考えていると思われるからである。
さて、Aの護憲派はBの改憲派を「憲法を壊すな」などとして批判するのであるが、なぜ憲法を壊すといけないのか、その理由として彼らがよく口にするのが、「立憲主義を守れ」というものである。彼らにしてみれば、自衛隊の現実に合わせて憲法を改正する改憲派Bの主張は立憲主義に反するということだ。つまり、憲法があって、次に現実があり、現実は常に憲法に従うというのが彼らの主張である。しかし、欠陥がある憲法であっても、これを変えてはならないのでは、我々はその欠陥憲法の犠牲者である。憲法は人間が作るものであり、完璧ではない。だからこそ憲法は改正できるように作られており、憲法に問題があっても改憲は許されないとするならば、では一体、いつ、どんなときに改憲を許すのかという話になる。そもそも憲法は我々のために存在するのであり、我々が憲法のために存在するのではない。改憲憲法で認められているのであり、なんら立憲主義に反するものではない。したがって、護憲派Aの言う「立憲主義を守れ」というのは、Bに対する批判として全く的はずれである。
だからといって、Aの考えは矛盾しているというわけではなく、ともに、AとBの考えは矛盾のない考えである。ただし国防の問題あるいは国家観について、AとBは大きく認識が違い、Aのような護憲派は、しばしば国防を不要であると言ったり、自衛隊を解消するなどと、現実の安全保障を無視した発言をするのである。Aは憲法には問題はなく、問題なのは自衛隊だと言い、Bはその逆の立場である。この違いというのは「国防をどうするのか」という問いに対する答えが著しく異なるということであり、つまりは、国は自衛隊を必要とするかどうかということである。これは憲法論ではなく国防論の相違である。ただし、もしAが単純に「国防よりも護憲が優先」と考えて自衛隊の解消などを主張しているであれば、その場合はAの考えは誤りである。その理由は先に述べたとおり、我々は憲法のために存在するのではないのであり、現実より護憲が優先するというのは立憲主義を誤解している。そもそも、Aの主張は「自衛隊違憲なので、憲法に合わせて自衛隊を変える」だったハズであり、「護憲のために、憲法に合わせて自衛隊を変える」ではないのである。なお、AもBも現時点で自衛隊違憲だと認めているのであるから、両者ともに現在の憲法と現実との矛盾を抱えることになるが、それはAやBの責任ではなく、両者とも自衛隊の解消あるいは改憲の実現まで時間の猶予は与えられるべきである。もちろん、Aのように自衛隊を解消したりするのは全く現実的ではなく、片や、Bのように憲法を現実に合わせるべく改憲するのは、普通に現実的だという違いがある。

 

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