日本国憲法の策定目的は平和主義にあらず~日本の軍事的解体とマッカーサー・ノート

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日本国憲法は「平和憲法」とも呼ばれている。戦争を放棄して平和主義に着目した憲法ということだ。

この「平和憲法」という呼び方は、日本以外にも多くの国が憲法で平和主義を掲げているにも関わらず、あたかも日本だけが独自に平和主義を掲げているかのような印象を与えるので、ひとりよがりなものである。とは言っても、日本国憲法は平和主義を謳っている憲法の一つには違いないので、私はこれを、間違いとまでは言わない。

だが、もし、日本国憲法の策定意図や目的までをも、平和主義を目指したものであると解釈するなら、それは憲法策定の意図には沿わない、ただの都合のよい解釈である。

というのも、連合国最高司令官マッカーサーの最大の目標は、日本の軍事的解体であったからだ。事実、憲法策定の原案となった「マッカーサー・ノート」は、日本の軍事的解体を徹底して条文化しており、中でも、自国の安全を保つための戦争、すなわち自衛戦争までをも放棄するという条文はひときわ目を惹く。


マッカーサーは、アメリカの利益のために、日本を軍事的に解体したのであり、「マッカーサー・ノート」にみられる全面的な戦争放棄条項には、そのことがよく現れている。つまり、マッカーサーは、なにも平和主義のために憲法を策定したのではない。繰り返しになるが、勝者アメリカの実利を得るために日本の軍事的解体を行ったのである。

さてここで、日本を軍事的に解体することで、日本の軍隊はなくなり、日本は戦争ができなくなったのだから、これは結果的に日本に与えられた平和主義ではなかったかという論理も使えそうに思われる。

しかし、もし、一国の軍事的解体をもって、これを平和主義と言うのであれば、平和主義とは、戦争という実力行使で他国を占領し、占領政策下でその国の軍事的解体を実施することを意味することになる。これは平和主義と言えるだろうか?

したがって、そもそも平和主義のためではない、あくまでも日本の軍事的解体を目的にしたアメリカによるアメリカのための現憲法を、軍事的に解体された側の国民である日本人が「平和憲法」などと呼んで、ましてや自分たちの成果物であるかのように自慢し、さらには日本独自のものだと主張して、かつ有り難がるのは、極めて滑稽だと私は思うのである。

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