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「憲法9条は幣原首相の発案」とする説に3つの重大な欠陥、「押し付け憲法論」を証明する結果に

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近年、自民党などが論じている「押し付け憲法論」に対抗して、憲法9条の制定過程をめぐり、9条は日本政府が発案したとする説が論じられているようである。中でも、憲法9条幣原喜重郎首相がマッカーサーに発案したとする「幣原発案説」はテレビでも報じられたようだ。

まず断っておきたいのは、「押し付け憲法論」が正しかろうが、正しくなかろうが、9条をはじめとする現憲法に問題があることに全く変わりはないということである。現状では、憲法改正の必要があることに何ら変わりはなく、したがって、「押し付け憲法論」をめぐる論議は改憲論議の本筋ではないことを確認しておきたい。(関連記事:「バイデン副大統領の発言と、『押し付け憲法論』をめぐる論議」

その上で、「幣原発案説」には重大な欠陥が幾つもあることを以下に指摘しておく。

まず問題なのは、この説を事実と裏付ける史料と言えそうなものが、幣原とマッカーサーが後年残した証言しか存在しない点である。客観的証拠ではなく、当事者による証言のみしか存在しない。証言がそのまま史実になりうるのであれば、歴史というものは当事者の証言の工夫次第で好き勝手なものに幾らでも書き換えられる。歴史とは、そのようないい加減なものなのだろうか?否、このような証言を無批判に受け入れる歴史家はいない。幣原がマッカーサーに9条を発案した証拠がない以上、「幣原発案説」は極めて説得力に欠けるため、受け入れがたいのである。

そもそも、日本側には、9条の発案どころか、9条を草案した痕跡すらも証拠が存在しない。一方、マッカーサーおよびGHQが9条を草案した証拠なら、マッカーサー・ノートおよびGHQ草案GHQ民政局メンバーによるGHQ原案が存在するのである。

次に、「幣原発案説」は以下の点でも重大な欠陥を抱えている。

仮に、幣原がマッカーサーに9条を発案したのが事実だとしよう。しかし、幣原内閣が1946年2月にGHQに提出した憲法改正要綱には、当の幣原が発案したはずの「第9条」に相当する規定が、一切記載されていない。明治憲法改正案として軍の呼称や編成などに関する改正案は明記されているのに、戦争放棄を始めとした9条相当の規定は全く記載がないのである。これはなぜなのか?この憲法改正要綱は幣原がマッカーサーに発案したとされる1月24日から二週間経った、2月8日に提出されている。もし幣原がマッカーサーに9条を発案したのなら、この憲法改正要綱に発案の反映がみられなければ辻褄が合わない。幣原内閣が提出したこの憲法改正要綱に9条が一切書かれていないのは、9条発案の事実がなかったからと考えるのが妥当である。

また、この憲法改正要綱と共にGHQに提出された「憲法中陸海軍ニ關スル規定ノ變更ニ付テ」という文書には、「蓋シ日本国カ聯合軍ノ占領終了後ニ於テ軍ヲ再置スルコトヲ聯合国ヨリ認メラルル時期到達スルトスルモ恐クハ極メテ小仕掛ナル内地ノ平和秩序ノ保持ノ為メ必要ナル範囲ノ軍備ヲ許サルルニ過キサル」という、日本としてはあくまでも軍備を再建し、連合国による軍事的解体の流れに抵抗する意思を示す規定がある。さらにこの史料は、「軍ノ統帥ハ内閣及国務大臣ノ輔弼ヲ以テノミ行ハルルモノトセントス」と、はっきり軍の最高指揮権まで規定している。これは「戦争放棄」や「戦力不保持」といった9条の規定に真っ向から反するものであり、「幣原発案説」とは完全に矛盾する。これも、「幣原発案説」が抱える重大な欠陥である。

3つ目。そもそも、護憲派の狙いはこの「幣原発案説」を持ち上げて、「押し付け憲法論」を無効にするというものであろう。しかし、こういった趣向は裏目に出ているとしか言いようがない。というのも、仮に、幣原がマッカーサーに9条を発案したのが事実だったとしても、「押し付け憲法論」は無効になるどころか、逆に「押し付け憲法論」が証明される結果となるからである。

その理由は、日本が自国の憲法を制定するというのに、日本の首相はアメリカの軍人に憲法を発案しなければならなかった、という極めて重大な事実にある。これは、わざわざ首相がGHQ憲法の条文を発案しなければ、憲法に盛り込んでもらえなかったという証拠なのである。逆に言えば、日本には憲法を自主制定する権限がなかったことの証拠である。つまり、「幣原発案」が事実であっても、それは憲法制定の絶対的権限をGHQが握っていたという事実の追加証明になるだけのことである。GHQによる「押し付け」がなかったのなら、なにもマッカーサーに発案などせず、日本が独自に憲法9条を制定すれば済む話である。

このように、「幣原発案」を事実と仮定しても、GHQ憲法を押し付けていたとする歴史的根拠は不動である。したがって、「幣原発案」というのが仮にあったとしても、憲法を押し付けているGHQの意向に沿って、つまりマッカーサーの意を汲んで、幣原は9条を発案したとも考えられる。または、マッカーサーは、後のことを政治的に考慮して、9条は幣原の発案ということにしておくようにと、幣原に口裏を合わせるよう指示したのかもしれない。あるいは、幣原の案つまり第9条が、仮に、GHQには全く発想のない案だったとしても、憲法を押し付けているGHQにとって都合の良い案だったために承認、採用されたに過ぎないとも考えられるのである。いずれにせよ、GHQ日本国憲法を押し付けている事実は、「幣原発案」を認めれば、より強調されるのである。

このように、「幣原発案説」は9条の日本発案説として重大な欠陥が幾つもあるだけでなく、この説を主張すれば主張するほど、憲法制定の裁量が日本側ではなくGHQにあったことを、ますます色濃く証明するだけなのである。

なお、筆者の立場は、日本国憲法の制定は、GHQの「押し付け」というより、日本の軍事的解体を目的としたGHQの命令であったとする立場なので、自民党などの主張とは異なるということを、あえて付け足しておきたい。

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