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憲法改正は「9条ばかり」なのか? 「共謀罪」の印象操作と憲法改正論議

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憲法改正が現実味を帯びてくるにつれ、改正をめぐる論議が紙面を賑わしているが、なかでも最近気になるのが、「憲法改正というと9条ばかりに注目する人が居る」などとして、批判めいたことを言って得意になっている人達が居ることだ。しかし、これらの人々は単に9条改正を牽制して世の中を惑わそうとしているだけであり、彼らの批判は全くの的外れである。というのも、こういう人達は改憲の必要性は認めているわけであり、したがって現在の論点が、どの条文から改正に手を付けるかという段階にあることも認めているわけだが、ここで憲法改正を一種のメンテナンスと認識するなら、これは家でも車でも、どんなものでもそうであるが、まずは最も問題のある部分から修繕するのが常識である。大して問題もない枝葉の部分から修繕するのは意味がないばかりか、本来の問題部分に思いがけない負担を招きかねない。メンテナンスは致命的な問題点から手を付けるというのが基本中の基本である。その点、9条に致命的な問題が見当たらぬとした上で「9条ばかり」と批判するなら筋が通るが、これを素通りして「9条ばかり」と、いかにもこちらが思慮薄弱であるかのように断ずるのは世論を誘導したいがための無責任な印象操作である。
同じく、いま世間の話題となり、しきりに反発を受けている法改正に「共謀罪」がある。これもまた彼ら得意の印象操作が展開されているが、彼らの主張は、はからずも彼ら自身の遵法精神に疑念を抱かせるものとなっている。すなわち、「犯罪の計画を話し合っただけで逮捕される」から法案は不当だとするのが彼らの言い分であるが、しかし、犯罪を合議するのはもはや犯罪者たる立派な証拠であり、犯罪者でなければ犯罪の合議などしないのが普通である。逮捕をされたくなければ犯罪の合議などしなければよろしく、自らに犯罪の意思がないというなら、犯罪など話し合わなければよいだけである。一体、彼らは何を反対しているのであろうか。
彼らはまた、「共謀罪内心の自由を侵害する」というが、別に、内心で犯罪を想念したい人には、いくらでも犯罪に思いを巡らす自由が保証されているのである。内的世界でいくら犯罪を計画しても全く罪にならないのは現状のとおりであり、ただしその犯罪計画を外的世界で誰かと話し合うなどしたら、それは犯罪になるということである。したがって「内心の自由が侵害される」というのは彼らのデマゴーグでしかないのである。
さらには、この「共謀罪」を法整備することによって政権が言論統制を敷き、これを基盤にして憲法論議にまつわる護憲派の言論を統制する思惑があるとして危機感を煽る新聞も現れている。そもそももが根拠不明の主張であるが、それはともかく、つまり彼らは、「共謀罪」が制定されては自由に憲法論議が出来ないと表明しているのである。この言い分からすれば、彼らは護憲を主張するのに犯罪を話し合う必要があるというのだから、そのような者はやはり逮捕されて然るべきなのである。このような危険な護憲論者が存在するのだから、これから改憲論議に拍車がかかる前に、つまり彼らが共謀などしないうちに、速やかに「共謀罪」を成立させる必要があるのではないだろうか。

tanizaki.hatenablog.com

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