マッカーサーノートの憲法9条 原文と日本国憲法9条を比較する

1946年2月3日、マッカーサーGHQ民政局に「マッカーサー三原則(マッカーサーノート)」を示し、これを基にGHQ草案を作成するよう命じた。

このうち、日本国憲法9条の元となったマッカーサー第二原則について、詳しく解説したい。

なお、マッカーサー三原則(マッカーサーノート)の一次史料は国立国会図書館サイトのこのページにて現物写真とテキストが閲覧できる。

マッカーサーノートより、マッカーサー三原則のうちの第二原則>
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

(日本語訳)『憲法改正の論点』 西修著 より

国の主権的権利としての戦争は、廃止する。日本は、紛争を解決する手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
いかなる日本の陸海空軍も、決して認められず、またいかなる交戦権も、日本軍隊に対して決して与えられない。

 まず、マッカーサーノートを読むことで、マッカーサーの当初の考えは、「紛争を解決する手段としての戦争」のみならず、自衛のための戦争までをも日本に放棄させるものであったことが確認できる。このマッカーサーノートは、日本の軍事的解体を達成するための、日本弱体化政策の大原則であったことが伺える。

ただし、日本の自衛権までをも放棄させるマッカーサーのこの規定は、GHQのケーディス大佐が「現実的ではない」と判断し、マッカーサーの了承を得てGHQ草案からは削除されている。これは日本が将来的に自衛権を必要とすることは国家として当然と判断したからだ。

したがって「自己の安全を保全する手段としてさえも戦争を放棄する」の文言は、憲法9条には出てこない。にもかかわらず、日本国憲法9条は、依然、日本の自衛権違憲と解釈できることは周知のとおりである。


続く「日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」の一文は、文章の変遷を経て現在の日本国憲法前文に移動している。

「日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」(マッカーサーノート)
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文

第二節は、憲法9条二項での「戦力の不保持、交戦権の否認」の元となった文言である。9条二項はこのマッカーサーノートをほとんどそのまま踏襲している。


マッカーサーの第二原則が、現在の憲法9条の原型になっていることが、以上をもって確認できる。

 

マッカーサー・ノート> 日本語訳 『憲法改正の論点』 西修著 より
国の主権的権利としての戦争は、廃止する。日本は、紛争を解決する手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
いかなる日本の陸海空軍も、決して認められず、またいかなる交戦権も、日本軍隊に対して決して与えられない。

日本国憲法第9条>
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

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