釜山の慰安婦像と対韓対抗措置、喧嘩を買った日本外交と日本国憲法の今後

個人の人間関係でもいえることだが、他者との違いを恐れて黙っていては対等な関係は築けない。だが、日本外交を見ていると、外国と日本との違いが浮き彫りになり、外国から批判を受けることが、まるで悪であるかのように振舞っているように見える。外国世論も恐れるし、国連でも自他の対立を恐れている。これでは、まっとうな国際関係を築けない。
例えば、外交交渉に於いて、こちらが忍耐していれば相手はわかってくれると思っているようなフシがある。これは言うまでもなく途方もない幻想であり、こちらをわかってくれない相手に非があるのではなく、こちらの文化や価値観を勝手に相手に押し付けている「こちら側」に非がある。「私達のように感じ、振る舞い、見返りをよこせ」というのでは、対等な関係は築けない。相手とこちらでは、価値観や文化背景があまりにも違うからである。
今回の、釜山の慰安婦像に対する政府の対韓対抗措置は一定の評価ができる。ただし、今後も外国との違いを恐れずに、「日本は日本」という確固たるアイデンティティを、今後もさらに示し続ける必要がある。
国際社会からみれば、慰安婦問題は人権問題であり、この枠では、加害者とされている日本を容易に支持することはない。従って、この問題は今回の対抗措置を皮切りに、日韓の外交問題にステージを移す必要がある。釜山の慰安婦像設置で喧嘩を売ってきたのは韓国であり、日本は日韓合意の履行をあくまで求めるというスタンスを明示し続けることである。
国際間に於いて、喧嘩はなにも悪ではないのである。我々は文化も社会も異なる国家の集まりなのだから、対等な立場で喧嘩(外交交渉)するのは当たり前であり、その現実にフタをして我慢している方がよほど危険なのである。「相手はわかってくれる」などと勝手な押し付けをしたところで、孤立して窮地に陥るのは自分である。
憲法9条があれば、「相手もわかって」くれて、自動的に国際平和が守られると信じている護憲派は、こうした現実が全く見えていないのである。

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