「専守防衛」という名の本土決戦政策の異常さと、現在の北朝鮮危機

トランプ大統領は、米中首脳会談に先立つ夕食会で、デザートを食べている習国家主席に、「たったいま、シリアに59発のミサイルを撃った」と語りかけた。習近平主席は10秒ほど沈黙した後に、通訳を通じて「もう一度説明してくれ」と頼んだそうだ。習近平主席を始めとする中国代表団は、食事が終わると急いで宿舎に帰ったとのことである。習近平氏のメンツは丸つぶれであるが、その場でシリア攻撃に反対できるほどの器は、結局持ち合わせていなかったのだから、習近平氏はトランプ大統領に見透かされていたのである。
しかし、いくら相手を見透かしているからと言って、たとえば日本の首相が外国の要人を招いてこのような「不意打ち」を食らわすことは到底考えられない。我々日本人は、それだけ相手を思いやる精神が旺盛であり、それはそれで素晴らしいことだが、場合によってはその精神を誤った相手に用いてしまう。
専守防衛」というのは、基本的には防衛力を自国の領土・領海内でのみ用いるものとし、近隣諸国に対して攻撃する意図のないことを示すものである。日本が専守防衛にこだわるのは、これまでの経緯を見る限り、中韓に対する配慮が多分に影響している。過去の反省から、「我々は、自国を防衛することはあっても、近隣国を攻撃する兵力は持ちません」ということである。素晴らしい平和的な思想のように思えるが、しかし、これは現実的ではない。例えば北朝鮮が日本にミサイルを撃ち始めたら、北朝鮮の基地を破壊しない限り、ミサイルは何発でも日本に撃ち込まれる可能性がある。「迎撃すればいいじゃないか」と言う人もいるが、ミサイルの迎撃はそれほど簡単なことではない。1発や2発は着弾することを覚悟する必要がある。それが核弾頭や化学兵器だったら、その被害は甚大である。仮に首都東京に核弾頭が着弾すれば、日本経済は終わる。
それもそのはずで、「専守防衛」に敵基地攻撃能力を含まないというなら、それは「本土決戦」という意味であり、これは常識的に考えて国家の存続が危機に瀕する最後の手段、最後の砦である。普通は「本土決戦」にならないように自国の安全保障政策をとるのだが、日本は最初からこの「本土決戦」を前提に防衛政策を決めてきたのである。結果として自国民が極めて深刻な脅威に晒されている。
大東亜戦争では、終戦の頃になると、「本土決戦」が真剣に論じられていた。それを「非人道的」と言って批判する人は多い。しかし、それを言うなら、現在の日本も「本土決戦」を国の防衛政策として高らかに宣言しているのであるから、異常なことなのである。
最近になってようやく、「専守防衛」の定義を見なおして、敵基地攻撃能力の保持を「専守防衛」に含めるとする論議が開始された。日本の防衛力に「歯止めをかける」ことばかり熱心な野党は今後も敵基地攻撃能力に盛大に反対するだろうが、彼らは自分たちが批判している戦中の政権と同じこと、つまり「本土決戦」という異常な安全保障政策を、我々国民に押し付けようとしているのである。

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